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荒井寿光(高14回)
東京長高会の皆様へ

 このたび、東京長高会会長に就任いたしました荒井でございます。
 飯田邦彦前会長のあとを引き受け、伝統ある東京長高会がこれからも会員の皆様の親睦の場として発展するよう、浅学非才な身であり微力ですが精一杯努力する所存です。
会の運営は会員の皆様のご意見を大事にすることが基本です。
東京長高会には多士済々の方々がおられますので、同期の間のみならず、年次を越えた交流の場としても有益であります。
ホームページも開かれ、投書コーナーもありますので、会の発展のためこれからどうしたら良いか皆様のアイディアをどしどしお寄せ下さい。
幸い副会長に宮川 明氏、田中信義氏、猪瀬直樹氏、窪田 彰氏、幹事長に矢島良彰氏、副幹事長に左治木幹夫氏、柳町明敏氏、榎本功子氏、さらに各期の代表幹事と、すばらしい方々が役員をされています。役員のチームワークで集団運営をする方針です。
会員の皆様のご指導とご支援を心からお願いします。

(追記)簡単な自己紹介をさせて頂きますと、昭和19年に中野市に生まれ、34年に長野高校に入学し(高校14回生)、長野電鉄に乗って通学しました。大学卒業後、通産省に入り、特許庁長官、通商産業審議官を務め、平成15年から内閣官房の知的財産戦略推進事務局長を務めております。自宅近くの荒川の河川敷を散歩しながら、「山また山」「南下軍」「信濃の国」を時々口ずさんでいます。

宮 川  明(高15回)
 東京長高会で大活躍された、同期、高野真弓君(高15回生)の陰謀で、このたび副会長に推されました。わが母校,長野高校に纏わる私のささやかな履歴をもって、自己紹介とします。
 生まれは、善光寺の西側、長野市西長野。加茂小、西部中を卒業。母校野球部が栄えある甲子園出場を果たしたときが、高校3年でした。全校一丸となった応援は、受験勉強を忘れさせてくれる熱狂経験でした。文武両道を実践した母校の名は、全国的にも極めて誇り高く、その後の人生(世渡り?)に度々、使わして頂きました。
 大学の4年間は、例によって粗末な(伝統ある)学生寮に厄介になり,一端の蛮カラ学生気取りで過ごしました。
 社会人としては、金融の一隅に携わる一人として、激変の渦中に身を置き、現在は、クレジット・カード会社に会長としての仕事。カードブランド“VISA”のAP(アジア・パシフィック)の理事の一人として、海外出張の多い日々を送っています。
 かつての職場には、黒澤壮吉先輩(高6回生)を囲んだ企業内長高会があり,一大同窓会勢力を誇っておりました。諸先輩の公私に亘るお世話により今日の私があります。仕事柄、新聞記者との接点も多く、当時、朝日新聞の記者、小坂壮太郎君(高32回生、現信濃毎日新聞社常務)には、厳しい“社会の目”をご教示いただきました。
 かつては、米国の大学(MIT)の留学時、現在は、国際会議で、英語を無理強いされておりますが、私の英語の原点は、高校時代の(故)村井先生に教えて頂いた“Active Vocabulary”。日本の歴史、文化を踏まえた、論理的思考,説得力のある英語能力のなさを痛感しておりますが、これも偏に、長野高校卒業後の努力を怠った付けと、反省の日々を送っております。同窓生にかくもお世話になった恩返しとして、微力ながら荒井会長の補佐を勤めさせていただきます。

    田中信義(高16回)

このたび、東京長高会の副会長に就任した田中でございます。この紙面をかりまして自己紹介したいと思います。私は昭和20年に塩崎村(現在の長野市篠ノ井)に生れ、昭和35年に長野高校に入学しました。一時期、篠ノ井からは長野高校に入学できなくなりましたが、現在はまた学区制がなくなり行かれるようになりました。
当時の長野高校は有数の進学校であると同時に甲子園にも行きまして、色々な面で活発な高校でした。私は篠ノ井から信越線で長野まで行き、善光寺下まで長野電鉄を使って通学していました。そのころを懐かしく思うと共に、また感慨深いものがあります。現在は母親が一人で、篠ノ井に住んでいますので、時々、田舎に帰っています。毎年正月の一日は高校の同級会がありまして旧交を温めています。
東京工業大学、及び大学院で電子工学を学んだ後、現在も勤務しておりますキヤノンに入りました。当時、田舎では外資系の会社に入ったのかと言われたり、また大学の就職担当の先生には、電子工学を出て珍しい所に就職するねとか言われましたが、現在は勝ち組みの一社になりまして、また会長が経団連の会長に就任予定(5月)になっており、皆に知られる会社になりました。
会社では、最初は光学の研究開発に従事し、その後現在のビデオカメラ・デジタルカメラの研究開発、半導体デバイスの研究開発生産、また光学機器事業本部の担当をした後、現在は知的財産法務本部を担当しております。今まで、いろいろな仕事に従事し、苦しみながらも、また楽しんでもおります。
会社の仕事以外に、荒井寿光会長が知的財産戦略推進事務局長をしておられますので、時々、知的財産関係の委員会に呼び出され、一緒に仕事をしております。

    猪瀬直樹(高17回)

 小泉内閣ができてから満五年になります。税金の無駄遣いをなくすため、一、二年お手伝いしようか、と思ってはじめたのですが、まさか政権が五年もつづくとは予想もしていませんでした。休日のない五年間、ということです。道路公団民営化、郵政民営化、地方分権の三位一体改革など、小泉政権でなければ不可能だった改革が実現でき、ひとまずほっとしているところです。
 一年ぐらい前、僕がレギューラで出演している土曜日のフジテレビ系情報番組「ワッツニッポン」に高校の先輩、元経済企画庁長官の田中秀征さんがゲストで出演されました。じつはお会いするのは初めてで、スタジオの隅で「どうも」とあいさつすると、いきなり「おう、後輩! 頑張ったな」とねぎらいの声をかけていだきました。その後、週刊ポスト誌で対談する機会もできました。
 今年の二月、役員会に出席せよ、とのことでした。ちょうどこの五年間の道路公団改革の戦いを記録した『道路の決着』をなんとか書き上げ、ゲラの校正が出たところでくたびれており、あまり積極的な発言もできずに申し訳ありませんでした。拙著は四月六日に小学館から発売となりました。
                                                  猪瀬直樹(作家)

  プロフィール                            
46年生まれ。87年『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞。『日本国の研究』で96年度文藝春秋読者賞。01年六月行革断行評議会のメンバーとして特殊法人改革に取組み、02年六月、小泉首相より道路公団民営化推進委員会委員に任命され民営化の実現に取り組む。そのほか政府税制調査会委員、日本ペンクラブ理事・言論表現委員長、東京大学客員教授など。06年1月より地方分権21世紀ビジョン懇談会のメンバーとして小泉改革の仕上げに関わっている。








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