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東京長高会 メルマガ2009年4月号

東京長高会は関東在住の長野高校出身者による交流会です。

当会は同窓の交流を促進するため定期的に講演会を企画し、隔月に

メルマガを配信しています。

今後の配信を希望されない方は以下にご連絡いただければ以降は配

信をいたしません。

  東京長高会 連絡係 柳町明敏

  e-mail: akitoshi.yanagimachi@ninus.ocn.ne.jp

この4月号の、

学年だより≫には、高校8回の3名から以下内容のご寄稿いただきました。

高橋 敏郎様「池田満寿夫氏の思い出」

中澤 忠正様「あッ、テレビさん、大丈夫ですか?」

籾山 博充様「同窓の絆」

学友だより≫は、今回はお休みです。

≪緊急連絡≫として高校22回の中村健様から月刊現代2008年4月号の進呈につい

てのご案内です。 

≪幹事会だより≫では、春の講演会についてご案内いたします。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆≪学年だより≫☆☆☆☆☆☆☆☆

高校8回(代表幹事 青沼尚彦様)にお願いしましたら、意欲的にご三名から寄稿い

ただきました

同窓の交友、お仕事での思い出等々、大変面白い話がお楽しみいただけること請合い

です。

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池田満寿夫氏の思い出

高橋敏郎

 世界的な版画家であり芥川賞作家でもあった故池田満寿夫氏は本校を1952年に卒

業された第4回生、従って53年入学で8回生の私には氏と在校中の面識はない。

 ご存知の通り60年代に入るや氏は主に版画家、挿絵作家として大活躍されるが、版

画家としての評価が確立したのは66年現代美術の最高峰ヴェネツィア・ビエンナーレ

での国際大賞受賞以降であろう。60年代後半には制作拠点も海外に移すようになり、

72年からほぼ7年間はアメリカのイースト・ハンプトンにアトリエを構えて定住。商

社勤めの私も偶々2回目のニューヨーク駐在が76年からだったので日本クラブなど

で時々お目にかかる機会があった。しかし氏にとり超多忙な時期でもありそれ以上に

進展することはなかった。ちなみに小説「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞されたの

77年、翌年その映画化で初めて自ら監督・台本を担当される。

 あらためてお会いしたのは氏にとって最晩年となる96年の秋だった。私事であるが

元々音楽狂いが高じて長い海外駐在中コンサートに出掛けたり好きなレコードを蒐

集したりして雑誌などにその関連の駄文を書いていたが、そのころ毎日新聞社から所

持するレコード中、面白そうなジャケットを選択し出版してみてはどうかと大変有難

い話を頂いた。

 レコードのジャケットは美術とか写真の領域に属するが決して中味の音楽と無縁

であってはならない。いわば美術と音楽の接点みたいな分野である。適当な監修者が

いれば確かに一層面白くなるということで浮上したのが池田満寿夫・佐藤陽子夫妻へ

の監修依頼だった。氏は既に幾つかレコード用ジャケットを制作していたし而も事美

術については名うての論客、バイオリニストである陽子さんの音楽に関する造詣の深

さも折り紙付きである。その意味ではお二人のコラボレーションも充分発揮できる分

野ではないか。こうして新聞社の人たちと熱海の海岸沿いにあるマンションを訪問す

ることと相成った。和気藹々のうちに話がまとまり、以降トントン拍子に手順が進行

する。熱海は氏の帰国以来制作の拠点となった場所で近くには当時注力されていた陶

芸用の工房などもあった。 

 そんな矢先の9738日、全く予期もしなかった氏の心不全による逝去の悲報が届

いた。やっと63歳になられたばかり、氏にとってはこれからという道半ばでの無念の

急死であったろう。出版に向けての作業も当然中止となるが、結局は陽子さんの快諾

によって復活・継続し、氏の一周忌に合わせて翌983月、漸く出版の運びになった

のである。こうして世に出た該著『20世紀レコード・ジャケット傑作集』は氏の最後

の監修作品にもなった。

 そんな事情で最晩年の極く短い間ではあったが、氏と接することができたのは望外

の喜びだった。打ち合せが終わると氏の馴染みの寿司屋で馳走になり、当時没頭して

おられた陶器のこと、書のこと、あるいは制作中だった翌年の干支絵のこと、そして

ユニークな人生観などをお聞きした。その端々に感じられる鋭い感受性と独特の論理。

氏は郷里の後輩に対しても決して偉ぶることなく何時もあの人懐っこい笑顔を浮か

べながらの誠意ある語り口だった。ときどき信州人特有の生真面目さを同郷人であれ

ばすぐ分かる北信弁アクセントのオブラートで包みながら・・・。

 人は池田芸術の本質は「エロス」だという。多分そうであろう。また別の人は氏が

目指したのは「破壊」ではなかったかと。マルチタレントといわれた氏はじつに多才

で 頻繁にその表現スタイルや作風とともに、絵画から出発し版画、挿絵、彫刻、陶

芸、書、小説やエッセイ、映画・TVなどと表現手段も次々に変えていった。真の創

造のための止むなき変身だったと思うが、日本では伝統的に道一筋を尊ぶ風が強い。

ちなみに氏を偲ぶ会や一周忌の会にも出席させて頂いたが、多彩なジャンルからの多

くの参列者たちをみてその交際範囲の広さに唯々驚いた。

 没後早や12年、しかし氏をめぐる末節的論調も相変わらず多々あったりで、とても

未だ正当な論評がされているとは思えない。真に作品に基づく客観的評価に至るまで

には、もう少し時間が必要なのであろう。

 最近、どこか疲れた様子だった晩年の氏の面影とともに、最後に行き着く先とされ

た境地は「般若心経」ではなかったろうかと考える。晩年の陶器による膨大な般若心

経シリーズ(パラミタミュージアム蔵)は氏のライフワーク的最高傑作といわれてい

るし、955月 阪神・淡路大震災による犠牲者鎮魂のために縦横4x7メートルの巨

大な和紙に揮毫されたのは般若心経そのものだった。死の2年足らず前のことであっ

たが、このころからすでに自身の死に対する何らかの予感もあったのではなかろうか。

  (完)

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あッ、テレビさん、大丈夫ですか?

中澤忠正

 指折り数えてみると35年も前の話である。TBSの人気連続テレビドラマ『寺内貫

太郎一家』の或る回でなんとも珍妙な場面が展開された。

 主人公貫太郎(小林亜星)が長男(西城秀樹)と例によってまたケンカをはじめる。

貫太郎の妻里子(加藤治子)が間に入って止めようとするが、貫太郎は里子を突き飛

ばす。里子は箪笥にぶつかって倒れ、そのままうずくまって動けなくなってしまう。

と、さすがの貫太郎も‥‥

「あッ、加藤さん、すみません、大丈夫ですか?」と駆け寄る。

そこからが大変なことになった。慌てたとはいえ「里子!」ではなく、つい本名で

「加藤さん!」と叫んでしまったのだから。しかもこのドラマ、この回に限って珍

らしいことにナマ放送だった。やり直しがきかない。

「亜星さん、ダメじゃないの、加藤さんじゃなくて、里子よ」と長女(梶芽衣子)も

仰天。実は彼女も「亜星さん!」と本名を口にしてしまったのだが。西城秀樹も「こ

れ、ナマ放送だよ!」とうろたえる。全員、演技もなにもなくなってしまい、もうメ

タメタ。結局、加藤治子も起き上がり、一同並んで土下座して、貫太郎こと小林亜星

が視聴者に謝る‥‥と、こういう奇策でなんとかその場面はおさめた。

 ナマ放送といっても、そこはプロの仕事なんだから(作曲家小林亜星は巨漢ぶりを

買われ、素人から起用されて大活躍、だったわけだが)いくらなんでもマズカッタな

あ、あれは、と言われかねない場面。‥のはずだが、実はそこに大逆転のシカケがあ

った。小林亜星が頭をさげて視聴者に謝ったそのセリフはなんと「これ、実はみんな

台本どおりなんです」だった。すべては、仕組まれたドタバタ芝居だったのだ。

 奇想天外のこのシカケを発想したのは脚本の向田邦子だったらしい。それにプロデ

ューサーの久世光彦が大乗りに乗ってしまった。ただしその効果を発揮するにはナマ

放送であることが絶対条件。ではあるが、ナマ放送はなみたいていじゃない。草創期

のテレビとは違って当時もすでにドラマはVTR収録するのが常態になっていた。出

演者たちのスケジュール合わせもさることながら、スタジオ繰りや技術や美術のスタ

ッフの準備、それよりなにより放送事故が起きたら大変、というわけでTBS社内は

関係者みんなが大反対。だが、久世さんがどうしてもやりたいと言って退かないとな

れば、これはもうヤルッキャないということになった。前作『時間ですよ』で売れに

売れていた(平均視聴率なんと29.5%)天才久世の威力は社内を揺さぶって、それな

らと全社を猛然と立ちあがらせたのだ。演出は服部晴治。当日その時間になると技術

関係の役員までスタジオに顔を見せ、緊張して見守っていた。

 放送日は3月末だったが東京は珍しく雪が降った。美術スタッフはスタジオ内のセ

ットを人工の雪で飾って仕上げる。「321・スタート!」でドラマが始まると、貫

太郎はさりげなく当日の新聞を読んでみせたりして、今日のこの回はナマ放送なんだ

ョ、ということを視聴者に印象づける。もちろんそれも台本どおり。仕込んだドタバ

タはナマ放送だからこそ生きる、とその機微をよくわかっている出演者やスタッフは、

みんな必死だった。汗だく。人を笑わせるには、こちらは笑ってなんかいられない。

 そして‥そのあとは、すべて、仕込みどおりに無事終了。万歳!うまくいったぞ!

やァ、おつかれさま、おつかれさま‥。まさに何人かの天才たちの共同作業によって

実現した驚異的な成果だった。今になって思えば、これを実現した3人、向田邦子、

久世光彦、服部晴治は既にみな故人になってしまった。傍若無人に真剣に一瞬一瞬を

生きていたあのテレビ世界はもう遠い昔の話。かく言う小生はこの貫太郎ごめんな

さい騒ぎの当時はTBSの編成部にいて多少かかわりがあったのだが、今や過ぎた

昔の憶い出話の一つにすぎない。

 テレビは今、日本では1953年以来ということになるが、初めて直面する苦境にオ

タオタしている。民放は広告出稿の激減で、NHKはまたそれと別の理由でいずれも

タイヘン!である。ちょうどいい機会、といっては気楽なことをと叱られそうだが、

いやいやまさに絶好の機会。奇想天外の新しい発想と、みんなを巻き込んでいく熱意

とで新しい世界を切り拓いてほしい。加藤さん!ではなく、テレビさん、大丈夫です

か?と、ここは本気で「本気の仕込み」をお願いしたいですね。

                      (了)

〔細部は、加藤義彦『「時間ですよ」を作った男』双葉社、に依りました〕

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同窓の絆

籾山 博充

新橋にイニシャルが「S」で始まる居酒屋がある。30年以上もの歴史を持つ。

我ら八期の仲間、蔵之内秀行君の店だが、彼は3年前に癌で他界。後を奥さん

と息子さんが継いでいる。

従って、Sは八期連中の「憩いの場所」である。あれこれ名目を作って、集ま

れの指令が飛ぶのは、今も昔も変わりない。常設のミニ同期会々場と言っても

よい。

とはいっても、我々は今年で72歳。常連といえる顔ぶれは中澤忠正、武井武

彦、鈴木道生、高倉春樹の諸君らが主だったところ。10人前後となり少なく

なった。

現役の頃は、一人で来ても誰かがいた。議論好きな奴に捕まると、時間が瞬く

間に消えた。昔を思うと、今は寂しい。

Sは、八期御用達だけではない。先輩も後輩もよく顔を出す。「長野高校」御

用達といっても過言ではない。

先輩では、小田中寛さんの顔が浮かぶ。よく一緒に来られるのが風間成孔さん。

小田中さんには親しく声を掛けて戴いたが、最近お会いしない。

後輩たちの顔ぶれは、多彩である。九期の諸兄とは、われらの大切な城を乗っ

取られるかと思うほど、よく顔を合わせる時期があった。

数年前の出来事だった。前述の中澤君とSへ行ったときの情景を思い出す。

ドアを開け、中へ入った。入り口近くに、男がひとり静かに飲んでいた。彼が

こちらを見て、表情を変えた。中澤君は「何でここにいるの」と一瞬驚きの顔、

すぐ笑顔がこぼれた。

十八期の青山民生さん。彼ら二人は旧知の仲。噂には聞いていたが。初めて来

たとのこと。三人で盛り上がったのは、言うまでもない。再会の祝杯をあげた

い。

最近、Sを守り立てているのは、三十四期の面々。彼らとは、年齢差が26。

働き盛りである。しばしば奥のテーブルに陣取って、陽気な酒を愉しんでいる。

今年の東京会総会では、彼ら三十四期が当番幹事。盛大な総会になるよう頑張

ってほしい。

と同時に、八期は「老兵は消え去るのみ」。

 

**********≪学友だより≫**********

このコラムでは、同窓から記事を寄せていただいておりますが、今回はお休みです。

次回の20096月号には、東京長高会副会長であり、錦糸町で精神科を開業して

いる窪田彰様(19回)にお願いする予定です。

 

★★★★★★≪お知らせ:月刊「現代」進呈≫★★★★★★★

信越化学にお勤めの中村健様(22回)から以下内容のメールをいただきました。

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柳町様22回の中村健です。

。。。。。。時の経つのは早いものです。 昨年4月の月刊「現代」に長野高校、松本深

志の比較記事が出てから一年経ちますが
当時何冊か購入し(あまり勝手にコピーをしてはいけないとか)
手元に何冊か残っていました。
先日の会議で欲しい方にと思って持参予定でしたが、叶いませんでした。
誠に勝手ながらそちらに数冊お送りしましたので、何かのお役に立てていただけまし

たら幸甚です。

 
                                                信越化学工業株式会社
 
                                                  社長室・広報部
                                  中村 健 

 

(編集委員から)

ご承知の方は多いと思いますが、この記事「名門校ライバル物語:松本深志高等学校

vs.長野高等学校」は、各県下を代表する名門二校を取材してその高風や生い立ちの違

いなどを比較するシリーズで、わが同窓では大変話題になったものです。

いま読み返しても、新たな面白さを発見します。

中村健様から頂いた月刊「現代」20084月号8冊が手元にあります。ご希望の方

には配送料も含め無料で進呈いたします。

お申し込み順で数量に限りがありますことをご承知おきください。

(連絡先)柳町明敏

367-0031 埼玉県本庄市北堀1470-4

Tel: 0495-71-4336 FAX: 0495-71-4360

e-mail: akitoshi.yanagimachi@ninus.ocn.ne.jp

 

※※※※※※※※※※≪幹事会だより≫※※※※※※※※※

春の講演会が523日に開催されますので、ご案内いたします。この度の講師は、

理系と文系最先端のお二入りです。

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日時:2009523日(14時〜

(受付開始:1330分より)

会場:虎ノ門パストラル 新館5階 マグノリアの間

      (港区虎ノ門4-1-1 Tel:03-3432-7261

  HP: http://www.pastoral.or.jp/

講演会

その1:14時〜1450

   演者:山口 芳泰 様 

(34回卒、弁護士 TMI総合法律事務パートナー

略歴:東京大学法学部卒後スタンフォード大学ロースクールを卒業(J.S.M.

し、企業合弁・買収、プロジェクトファイナンスの専門家として活躍中

演題:日本の企業法務と将来の弁護士像

 その2:15時〜1550

演者:北澤 宏一 様

(14回卒、日本科学技術振興機構理事長)

略歴:東京大学工学部卒. 高温超伝導、磁気科学、電子機能性物質の第1人者、

2007年日本科学技術振興機構理事長就任

演題:100年に一度の危機は100年に一度のチャンス ―― 日本の21世紀技

術体系への転換 」

懇親会:16時〜18  新館6階 アジュールの間

会費: 7,000円(含む懇親会費、事務費)

  (なお、学生は無料で参加できます)

ご参加の申し込みは各学年幹事が取りまとめておりますが、連絡係柳町明敏宛

akitoshi.yanagimachi@ninus.ocn.ne.jp)でも、東京長高会のホームページからで

もできます。

また、当日飛び込みのご参加でも構いません。

 

**********************≪編集後記≫*********************

この4月号では、「学年だより」に8回の代表幹事の青沼尚彦様を通してお願いし

ました。

その結果、ご三名から力作をご寄稿いただき、まるで8回特集のようになりました。

内容もさることながら文も秀で、さすが同窓のレベルの高さを再認識しました。

当メルマガを隔月に定期刊行するようになって丸1年、やっと皆さんの中に定着で

きるようになってきたと、編集委員ともども喜んでおります。

2009424

編集長:小池俊介

編集委員:左治木幹夫、榎本功子、柳町明敏

 


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