東京長高会 メルマガ2009年12月号



東京長高会は関東在住の長野高校出身者による交流会です。

当会は同窓の交流を促進するため定期的に講演会を企画し、隔月にメルマガを配信しています。

今後の配信を希望されない方は以下にご連絡いただければ以降は配信をいたしません。

  東京長高会 連絡係 柳町明敏

  e-mail: akitoshi.yanagimachi@ninus.ocn.ne.jp



この12月号の、

≪学年だより≫は、16回の柳沢 忠様より「齊藤信一君を偲ぶ」とだいしてご寄稿

いただきました。

≪学友だより≫には、幹事長の矢島 良彰様から全体幹事を引き受けて4年間の感想を

寄せていただきました。

≪講演を聴いて≫は、12月5日(土)に銀座東武ホテルで開催された総会で中澤公孝様

(33回)と山岸哲様(9回)お二人にご講演頂いた要旨です。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆≪学年だより≫☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

16回、柳沢忠様からのたよりです。

柳沢様は学年幹事として、16回の皆様と当会の橋渡しに御尽力をいただいております。

また、前回の副幹事長として当会の運営にも大変お世話になりました。

掲題の齋藤信一様は、16回の代表幹事で、春から病床にありとのことでしたが最近に

御逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆齊藤信一君を偲ぶ

        高16回 柳沢 忠

 東京長高会において16回生は、代表幹事齊藤信一氏(第一東京弁護士会、国際交流委員会委員長)、

幹事飯田護氏(松下電器、前会長飯田邦彦氏の弟)、幹事柳沢忠(国立大学教授)でここ数年やってきました。

 

 東京長高会の副会長(2006−)で次期会長(2010−)の田中信義氏(キャノン)を先頭に、

 そろそろ懐かしさが募っての参加という年齢(63−64歳)になってきました。



そんな折に齊藤信一君の悲報に接し残念の極みです。彼はコロンビア大学ロースクールを1年間で

修了するほどの頑張り屋さんで、これからの国際的企業の再編および再建問題など、国際法律事務所で

日本およびアジアを代表する経営委員会のメンバーとして活躍していました。周りへの配慮あふれる中での

大胆さは同期の会合やゴルフプレイにも現われていました。彼を交えての楽しい老後を私達は期待

していました。64歳ではまだまだもったいないかぎりです。

 

 思い出になりますが、44−45歳であった20年前(1990)東京長高会の幹事長の方から

 お電話があり“同期会をやっていますか?長野の同窓会から名簿を送って頂きますから、大至急組織を

 作ってください。来年が当番年度です”とのことでした。私も東京から大阪に、米国メリーランドにと

 転々としていましたので、ピンと来なかったことを憶えています。

 

 田中一誠氏(スタンレー電気)から“私はまだ動けないから、貴兄が動いてくれないか?”との追い打ちで

 やむなく動き始めました。名簿をもとに電話をかけ続けました。

 当時宮沢征氏(石井企画)、千葉良子(旧姓増屋)さんが動いて下さって、山崎長郎氏(歯科医師)、

 酒井哲郎氏(フランスワイン輸入会社)のおかげで当番年度(1991)を乗り切りました。関東には

 120名位が在住しており、総会には40名位が参加したことを記憶しています。



その後16回生は東京長高会総会には疎遠になっていたのですが、同期会の方は故丸山雄三氏

(イースト)が名簿と2種類のメール網とを作ってくれたので、毎年11月下旬には早々と

忘年会を故丸山雄三氏および竪谷寿夫氏(三越)の配慮があって行ってきました。



また、横田実氏、五十嵐皓氏が中心になって、15回生のピッチャー石井良雄氏(太平洋クラブ)の

おかげをもって5月と10月の年に2回ゴルフコンペも続いています。現在は高野正晴氏(高野フーズ)

がまとめてくれています。

さらに、横浜の高層ホテルからの花火見物(故丸山雄三氏および田中一誠氏の配慮)や屋形船による

東京湾花火見物(故齊藤信一氏の配慮)など、折に触れて集まるようになりました。



20年前東京長高会の幹事長からのお電話の意味が解ったのは、亡くなる友人がポロポロ出てきた時でした。

この会があってこそ、名簿があってメール網があってこそ、対応が可能になったのです。

長野の16回生達からは、卒業後30周年(善光寺および上山田温泉)40周年(上山田温泉)

45周年(飯綱高原において、2009.6)の集まり、タイ国に小林秀明大使(元国連大使、現迎賓館館長)を

訪問する会(2007.1)、毎年1月1日午後4時長野駅前での新年会(最近人数が増えてきているとのこと)など、

こちらも懐かしさが募っての参加人数が増加しています。

  

16回生は昭和37年夏の甲子園に出場の年に高校2年生でした。3年生4人、2年生5人のチームだったと思います。

存在感のある役目を担ってゆく世代、16回生です。高1、高2、高3の一二三会のように、高14、高15、

高16回生が会を作るような年齢になっていくのかも知れません。



以上、定例幹事会でも何回か発言させて頂きました。この会の存在意義を理解するのに時間がかかりました。

この東京長高会のますますの発展を期待申し上げます。





 ●●●●●●●●●●●≪学友だより≫●●●●●●●●●●●

 幹事長の矢島良彰様から2006年から引き受けた全体幹事の総括を寄せていただきました。

 来年からは、33回の皆様が全体幹事を引き受けられます。

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19回 矢島 良彰

幹事長を仰せつかって4年、曲がりなりにも任期を全うすることが出来たこと、

皆様に感謝しております。



紆余曲折の末に19回卒が幹事団を引き受けることになったのですが、そもそも

東京長高会の今日的な意義は何なのか、肝心な点は不明なままで引き受けた次第です。

 前任の高野元幹事長に相談しても、君たちの考えで好きなようにやったらいい、

 と言われるだけで、さてどうしたものか、幹事団で相談を重ねながらのスタートでした。



幸い、一緒に幹事団を引き受けた柳町、左治木、小池の3氏とは、かれこれ

20年ほど前から、毎年、揃って温泉へ出かけ、月に一度は集まって飲むような

親友だったことで、返って飲み会が増えて、それがまた楽しみとなった次第です。



印象深いのは、翌々年の役員新年会でした。確か大空襲で焼け残った築地のレトロな

料理屋の座敷でしたが、荒井会長、猪瀬副会長を中心に議論沸騰して大いに盛り上がり、

仕舞いには「長高会は日本を変える」と、宣言(?)まで出る始末でした。

実に愉快な新年会でしたが、遅ればせながら東京長高会の意義を認識できたのは

この新年会でした。

同窓生には日本の各界で活躍しておられる方が沢山おられますが、その方々が向き

合っておられる事柄について知ることは、まさに日本の最前線について知ること

であり、当事者としての本音も聞くことができ、他では得られない情報も聞けるで

あろうし、仕事や生活の上での発想の転換にもなる。そこに東京長高会の意義がある

のではないか、そんなことから、メルマガを配信し講演会を増やそうと計画した訳です。



メルマガは隔月、講演会は季刊を目指したのですが、及ばずながらそこまでは実現

出来ませんでした。

事実、幹事団を引き受けさせていただいたことで、卒業期を超えて多くの方々と話す

機会があり、仕事や人柄について知ることができました。仕事の内容、人柄、生き方、

感心し興味が湧いたことは多々ありました。これは、得難い体験であったと感謝して

おります。私の職業病とでも言いますか、常に話の内容にテレビ番組の企画の芽を探

しているようなところがあって、仕事の上でも個人的にも更に知りたいと思う方が何人も

おられました。先ずは知ることから始まって、人脈が生まれ、ネットワーク出来る。

東京長高会に期待すること大です。



ところで、最前線の話題であれば、課題となっている若いOBの参加も増えるのでは

ないだろうか、と期待をしたのですが、この点についてはどうも今のところ目立った

影響は表れていないようで、何とも残念です。



東京長高会の隆盛については新幹事団に託すばかりですが、好きなように、大いに

楽しんでやったらいいと、私も前任の高野元幹事長と同じ言葉を新幹事団の皆さんに

贈りたいと思います。そこから生まれてくる熱気に期待します。





★★★★★★★★★★≪講演を聴いて≫★★★★★★★★★★★



講師の中澤公孝様は運動制御機構とリハビリテーションに関しての新進気鋭の研究者で東京大学大学院

総合文化研究科"総合文化研究科教授です。 また、山岸哲様は山階鳥類研究所所長で鳥類学の第一人者です。

学年幹事(34回)の篠原徹様と山口俊隆様にうまくまとめていただきました。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

第1部

講師:中澤公孝様(33回)

演題:「車いすから立位歩行へ −ニューロリハリビテーションへの挑戦−」



要旨: 直前の海外出張での国際宇宙ステーションなどの話題から、長寿が当たり前に

なった現在は以前に比べ障害をもつリスクが増加していること、病気になることと同じように

障害をもつことが他人事でないとの話で始まった。

 脳梗塞による障害が残る長島茂雄氏のリハビリの様子が写されるとともに、リハビリテーションの

進化でいままであきらめていた人にも回復の可能性があるという。以前は脳梗塞で機能が失われた

脳の部分は仕方がないとされていたが、最近では、脳の機能を他の部位が代行して神経回路の

再編成が行われることがわかった。こうした神経科学に着目した「ニューロリハビリテーション」

という新たなリハビリテーションが成果をあげている。

 脊髄損傷により立位歩行が困難で車いす生活となっている方も、最新鋭の補助ロボットで歩行を

再学習させると脳に無関係に筋肉が動くことがある。神経が完全に切れていなければ回復の可能性が

あると、実際のリハビリの映像を使い説明された。

 リハビリへの努力はアスリートのハードトレーニングと同じであると、再び長島茂雄氏が懸命に

リハビリに取り組む姿が映された。そうしてそれらを成し遂げるのに必要なのは、“根性”であると

締めくくられた。

 くしくも今回の講演の数日後にプロ野球阪神の赤星選手が試合中の怪我による脊髄損傷が原因で

引退するという衝撃的なニュースを聞き、講演での話しを思い出した方も多かったと思う。最先端の

リハビリも大事なのは根性、気力であるとは驚いたが、今日の話とミスター(長島茂雄氏)の姿を

目にやきつけておきたい。 篠原(記)



第2部

講師:山岸哲様(9回)

演題:「種の多様性はどのように生じるのか −マダガスカル島のオオハシモズ類を中心にー」

要旨: 2010年は『生物多様性年』。 国家戦略にもなっているが、一般的な認識は3割程度と

非常に少ない、との話から始まった。



生物多様性を考えるキーワードとしては、「遺伝子」・「種」・「生態系」の3つがあげられる。

今日はその中の「種」の多様性について、マダガスカルの例をあげて説明された。

 マダガスカルには様々な種が存在するが、特筆すべきはマダガスカルにしか存在しない固有種の

多さにある。地球上には約141万種が存在するといわれているが、毎年多くの種が絶滅し、その

一方で新たな種が生みだされている。ただし恐竜時代には1000年に1種が絶滅していたのに対し、

現在は1年に4万種もの種が絶滅している。それを引き起こしているのは人類の環境破壊である。 

 マダガスカルのオオハシモズ科を分類することによって、いろいろなことを知ることができる。

・くちばしの形による分類

・採食方法での分類:ひとつの祖先からいろんな種・科に分かれていったことがわかる。(適応放散)

・DNAによる系統分類:捕獲して採取した血液からDNA鑑定を行うと、種の普遍性と突然変異を

みることができる。

 このように生物の進化の形態のひとつに適応放散というものがある。これは生態系にニッチな空きが

あると、その場所に適応する種が分化して発生する現象のことである。(マダガスカルにはキツツキは

いない→キツツキに代わる種が発生する)

では何故マダガスカルが適応放散に適していたのか?それは大洋中の火山島で誰もいなかったから。



今回の講演の中で気になったことに次のような話があった。

例えに4種の生物が存在しているときに、仮に間の生物1種が絶滅すると、それをえさにしている生物が

絶滅する。次に最初に絶滅した生物のエサとなっていた生物が大繁殖しエサを食べつくしてしまいエサと

なっていた生物だけでなく自らも絶滅する。結果すべてが絶滅してしまうのだという。実際はもっと網の

ように複雑な構造(食物網)になっているとのことだったが、改めて“環境”についても考えさせられた

講演であった。 山口、篠原(記)





※※※※※※※※※※※≪幹事会だより≫※※※※※※※※※※

本年、母校合唱班はNHK全国音楽コンクール長野県大会で金賞に、関東甲信越ブロック大会では

銀賞に輝きました。

19回の幹事、尾崎州日古様から合唱コンクールでの動画と歌がNETでアップされたとの案内を

頂きました。

「Nコン」

http://www.nhk.or.jp:80/ncon/nhkhall/index.html



を開くと見られますが、尾崎様からいただいた詳しい閲覧方法は、下記を参考にして下さい。




http://www.tokyo-choukou.com/nhk-con.pdf



***********************≪編集後記≫**********************

われわれが担当した最後の本メルマガは、「学年だより」「学友だより」とも、

くしくも当会の意義に触れた、最後にふさわしい内容となったようです。

思えば、この4年間、皆様に無理をお願いして多数の原稿を頂きましたこと、

ここに厚く御礼申し上げます。

これらの既刊分は、東京長高会ホームページにアップしてあります。

まだまだ原稿を頂いていない学年や多くの学友が控えておられると思いますが、

そろそろマンネリ化してきた我々編集員はこれを最後にリタイアして33回の

若い皆様に引継ぎます。

長い間、大変ありがとうございました。

また、この間、数々の失礼や不調法があったとしたら、皆様のご寛容を頼りに

本紙面を借りて厚くお詫び申し上げます。



2009年12月26日

編集長:小池俊介

編集委員:左治木幹夫、榎本功子、柳町明敏


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